鼻が折れると鼻血が出る

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村上春樹が家でゴーゴー嬢と飲んだら


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「家で飲むのは好き?」彼女は僕に訊ねた。

「好むと好まざるに関わらず、僕には酒が必要なんだ。たいていの場合、冷蔵庫には順番待ちのペンギンのように酒が並んでいる」

「シンハー・ビールを1つもらっていい?」

「シンハー・ビールだけ、たまたまないんだ。ただ、この部屋にあるビールはすべて誰かに飲まれるためにある。それが僕であっても君であっても大きな違いはない。好きに飲んでいい」

 彼女は座ったまま、しばらくぼんやりとした目つきで、机の上にあるシンハーのロゴの入ったビールグラスを眺めていた。

「やっぱり帰るね」困ったように笑いながら、彼女は言った。その笑顔は美しかったが、快活というにはほど遠く、声には感情がなかった。

「君は帰ってもいいし、帰らなくてもいい。君はいつだって、どこにでもいける。引き止める権利は僕にはない」

「そう?」

「そうだよ」

 彼女は自分に言い聞かせるように「そうね」と言うと、その170センチの長身に似合わない小さなカバンに、ゆで卵のようにつるんとした液晶画面のサムソンの携帯電話を大事そうにしまった。

「やれやれ」朝までのロングという約束にもかかわらず、彼女は1時間足らずで帰っていった。彼女が帰ったあとの部屋は、一人で酒を飲むには広すぎた。巨大な鯨に込みこまれ、胃袋で消化を待つ魚のように、ソファーに横たわった。

 

 43歳の夏に僕は生まれて初めての恋に落ちた。広大な平原をまっすぐ突き進む竜巻のように激しい恋だった。それは行く手のかたちあるものを残らずなぎ倒し、片端から空に巻き上げ、理不尽にひきちぎり完膚なきまでに叩き潰した。

 恋に落ちたのはゴーゴーバーという水着の女性が踊っている場所で、控えめに言っても健全とは言い難い場所である。さらに付け加えるなら、彼女はレディーボーイという元々は男性として生まれた女性であった。名前はウィランという。

 ウィランが隣に座り、僕の膝に手を添え「あなた、すてきね」といった瞬間、ほとんど反射的と言ってもいいくらい素早く僕は恋に落ちた。平坦なアユタヤの草原で南国の日射しに焼かれている時に、突然降るどしゃぶりの雨(東南アジアではマンゴーレインと呼ばれている)に打たれたかのような衝撃であった。

 職場の冷たい視線を尻目に、有給を思う存分使ってタイに旅行する日々が始まった。もちろん、それはまともなことではなかっただろう。でも、正しいとか正しくないとかいう以前に、そうしないわけにはいかなかったのだ。

 

 ある日、突然ウィランと連絡が取れなくなった。理由は分からないし、理由などないのかもしれない。もしかしたら、部屋にシンハー・ビールがなかったからかもしれない。

 この話に続きはないし、それ以上でもそれ以下でもない。ある時期、僕の前にウィランという女性がいた。それだけだ。今でも誰かの前で水着で踊っているのかもしれない。ひょっとしたら堀江貴文の前とかで。

 

#今週のお題「家で飲む」